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いま振り返る「ノンステップバス」の歴史(1)「欧州視察」が時代を変えた

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今では全国的に当たり前の存在となっている「ノンステップバス」。出入り口に段差がなく乗り降りの楽なこのタイプのバスは2000年代前半から急速に普及し、都市部では全車両をノンステップ車に統一したバス会社も少なくありません。国内の自動車メーカーがノンステップバスの製造を本格的に開始してから二十数年。誰もが乗り降りしやすいバスを目指して試行錯誤を繰り返してきたその歴史は意外に知られていません。その夜明けから現在に至るまでの歴史を、当時の舞台裏を知る識者のお話を基に振り返ってみましょう。

1990年代末「ノンステップバス時代」の幕開け

日本国内で、本格的な「ノンステップバス時代」の幕が開いたのは1990年代末。当時の国内メーカー4社が1997年から翌1998年にかけて相次いでノンステップバスを発表し、都市部のバス会社を中心に導入が始まりました。

路線バスの床をなるべく低くして乗り降りしやすくしようという「低床化」の動きはそれ以前からありました。1988年には前扉と中扉の間の床面を下げて、それまで2段だった乗降口のステップを1段にした「ワンステップバス」を日野自動車が開発。1991年には、東京都交通局の要望を受けてメーカー4社がそれぞれに開発した、ワンステップ・車内通路段差なしの「東京都超低床バス」が登場しています。

また、実はノンステップバスの試作も1980年代に行われていました。1985年に三菱自動車工業(現在、バス製造は三菱ふそうトラック・バスに分社化)が前中扉間ノンステップの試作車を開発し、京浜急行電鉄(京急バス)や名古屋鉄道(名鉄バス)など一部のバス会社が導入しました。

このように流れを追うと、1980年代から90年代にかけてバスの低床化が着々と進み、ノンステップバスの本格導入に向けた動きが生まれていったかのようにも見えます。しかし、実際にはその道のりは単純ではありませんでした。

バリアフリーの本命は当初「リフト付き」だった

「ヨーロッパでノンステップバスの導入が進んでいることは知られていましたが、当時の日本でバリアフリーに対応したバスとしては車いす用のリフト付きバスやワンステップバスがあるくらいで、それらも価格が高いことから福祉対応の特別車両という位置づけでした」

車両工学が専門で、バス車両に詳しい元東京大学教授の鎌田実氏(現・日本自動車研究所長)は、1990年代前半の国内のバス事情についてこう振り返ります。鎌田氏は東大教授時代にノンステップバスの標準仕様策定にも深く携わった専門家です。

鎌田氏によると、1990年代前半に検討されていたバスのバリアフリー化の主軸は「リフト付きバス」と、乗降時に路面との段差を極力小さくできる昇降式ステップを付けたバスだったといいます。高齢化社会を見据えたバスの開発を目指し、運輸省(現・国土交通省)が中心となって立ち上げた「人にやさしいバス技術調査検討会」が1996年3月に公表した報告書でも、ノンステップバスを「長期的には国内において導入されるべきと思われる」としつつ、短期的には車いす対応のリフト付きバスや昇降式ステップを付けたバスなどを今後のモデルとして提案しています。

ノンステップバスの試作車は前述の通り1985年に登場していたものの、1990年代半ばまでは「コストが高く、標準車両という位置付けには遠い」という認識が業界関係者の間では一般的だったそうです。

流れを変えた欧州視察と「輸入」の動き

ただ、実際には報告書が公表された翌年の1997年には国産のノンステップバス量産車が登場し、バリアフリー化の本命は一気にノンステップバスへと移り変わっていきました。

バス会社をはじめ、業界関係者が日本でもノンステップバスを導入すべきという考えを強く抱くようになった1つの転換点は、1994年に行われたバス業界関係者向けの欧州視察ツアーだったと鎌田氏は振り返ります。そして、同ツアーをきっかけに、一部で海外製ノンステップバスを導入しようとする動きも進み始めました。

次回は、輸入の動きから国産ノンステップバス登場への経緯をたどります。

※文:小佐野カゲトシ

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