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都営バス初の女性運転手が編集部にやってきた!

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元都営バス女性バス運転手 伊東 浩子(いとう ひろこ)さん

[撮影]バスギア編集部:元都営バス女性運転手 伊東 浩子(いとう ひろこ)さん

都営バス初の女性運転手ってどんな人?

最近は意外な場所で活躍する女性を目にする機会も増えてきました。女性の社会進出が進んでいるということを実感します。
今から約30年前。時はバブル絶頂の時代「女性は家庭に入るもの」という色が強くある中、バス業界に新しい色を添えたひとりの女性がいました。
都営バス初の女性バス運転手 伊東浩子(いとう ひろこ)さんです。日本がまだ男性・女性の働き方に大きな開きがあった時代に、持ち前の元気と明るさ、パワーで大型二種免許の取得から家事・育児にも奮闘。
そんな伊東さんに女性として、母としてかけぬけた時代のことを語っていただきました。

大型二種免許を取得した当時の事を語る伊東浩子さん

大型二種免許を取得した当時の事を語る伊東浩子さん


伊東さんがバス運転手になろうと思ったきっかけはなんですか?

「きっかけは、大型二種免許を取った後ですね。子供と一緒に買い物へ行った時、子供に「ママもあのバス運転できるんだよね?」と言われまして」


お子さんの言葉がきっかけだったと。大型二種免許はすでに取得されていたようですが、どうして大型二種免許をお持ちだったのですか?

「実は、学校のPTA役員をご一緒した方と、たまたま車の話題で"大型二種免許持ってたらカッコイイよね"という話になりまして、その方に「試験場行けばとれるよ」と言われたのです。 それが、あまりに軽く言われたものですから、正直、えっ、そんな簡単に取れるものなの?と思い込んじゃったのが大型二種免許を取ったいきさつですね。」


おお!ではもともと「車好き」だった...それとも何か影響を受けて「車好き」になられた?

「実は、父が持っていた大型二種免許に憧れていました。父の昭和20年台という時代は、免許取得日から3年毎に更新がありまして、無事故無違反ならランクが上がるという仕組みだったんです。つまり、ランクが上がると自動的に大型の自動車まで乗れるようになってしまう。」


なるほど。持っているだけで。

「ええ、例えば自動二輪を取れば3年後に四輪、さらに3年が経つと大型が運転できるようになる。だけど今と違って当時は車の免許を持つ人は車が本当に必要な人だったので、ペーパーなんて人はまずいなかったんです。つまり3年経てばスキルや安全感覚が身につくという理由で書換え時のランクアップを公安委員会が認めていたんですね。
だから私の父も特に何かをしたわけでもなく大型二種免許を持っていたんですが、子ども目に見たらそれがかっこよく見えた。それもあって大型二種免許欲しいな、カッコイイなって思っていました。」

当時の様子を笑顔で話す伊東浩子さん。

当時の様子を笑顔で話す伊東浩子さん


運転するイメージが無くてもとりあえず免許としては持っていたい。

「そうです。そうです!(笑)18歳で普通免許を取りまして、その時からもう大型二種免許を持ちたいなって思っていました。でも実際の試験は、それはもう酷くて...大型二種免許どころではありませんでしたね。めちゃくちゃ怒鳴られて帰ってきたもの(笑)。
あと、本当はその時、大型二種免許よりもけん引免許が人気だったので、私もけん引免許欲しい!って思ったの。なのに、けん引免許がすごく混んでて、受験するのに2ヵ月先まで予約でいっぱい...


で、大型二種免許行ってみるか!となった。まさに「その時、時代が動いた」という感じですね!

「私の中ではそうでしたね!そこで無事合格しまして子供に「免許取ったよっ!」って自慢したんです。」


そこで初めのお話につながるんですね。

「そうなんです。子供とお買い物に行った帰りのバスで「ママもあのバス運転できるんだよね?」と言われたので「できるよ!」と返したのですが、その時それですっかりその気になっちゃったんですね。主婦で世間知らずだったものですから、じゃあ本当に乗っちゃおうかな...空いた時間でバス乗っちゃお!ぐらいにしか思っていませんでしたね(笑)」

バス運転手になったいきさつを話す伊東浩子さん

バス運転手になったいきさつを話す伊東浩子さん


完全にバイト探す感覚ですね(笑)。意外な動機でおもしろい!で、さっそくバス会社に就活?その頃は男女雇用機会均等法が施行されたあたりではなかったですか?

「そうですね。その頃は、男女雇用機会均等法施行が86年施行でしたので、それから6年目の92年にあたります。いろいろな会社が女性採用を本格的に考え始めていた頃でした。
それなのに、その時は全部断られたのですよ(笑)」


やっぱり面接でなかなか女性は厳しいと言われたのですか?

「いえ、電話です。いろいろなバス会社に電話したのですが「経験無いんでしょ、じゃあやめときなさい」とか「うちじゃあちょっと」みたいなことしか言われませんでしたね。
そんな時、ちょうど東京都の広報誌に"路線バス運転手募集"と書いてあったのを見つけたんです。見たら応募条件が、年齢と大型二種免許を持っていること、あと変則勤務に耐えられることの3つだけ。あれ、性別は?って思いましたね。
当時の求人広告では、男女の性別を書いてないことってなかったので、これは印刷ミスだと思ったんです。でも一応問合せたら「あ、いいんですよ。別に男性でも女性でも。条件に合う人なら来てください。」って言われたんです。」


何だか軽い感じですね?(笑)

「そうなんです。でもそれでとにかく試験を受けられるということになったので、一生懸命受けましたよ。そうしたら成績トップ(笑)。
その頃、ちょうど上層部で女性の採用を考えていたみたいで、試験の成績は良い、家庭があるので落ち着いてるから安心だ、と。」


すごい!それでこの人ならいいんじゃないか、と、伊東さんへの見方が変わったんですね?

「たぶん、そうだと思います。そうそう、それと技能試験で生まれて初めてバスで公道走ったんですけどね、それがもう嬉しくってね...あんな感動二度と立ち会えないかなって思うほど嬉しかったの。よく覚えています。ただ、厳しかったですけど(笑)」


技能試験が、ですか?

「実は私、車庫入れが苦手で、というかほぼ出来なかったんです。通常3回入らないと、そこで試験終了なんだそうです。ところが7回くらいやり直しさせてもらったんです。さすがに途中でもうダメだろうと思いましたけど。でも結果は合格!(笑)
後で聞いたら「安全確認」をちゃんとしていたからなんですって。私、車庫にうまく入れられなかったので、ぶつけないように必ず止まってやり直しをしたのです。それで、ごめんなさい、申し訳ないです、と言ってもう一度やり直しますってことを何度もやったんです。
技能って毎日乗ってたら上手になるんですけど「安全確認をする姿勢」ってのはいくら乗っても養われないんだそうです。そこが唯一の決め手だったみたいですね。」


ちゃんと伊東さんの良いところを試験官の人が見てくれてたってことですね!

「磨けばどうにかなると思ったんでしょうね(笑)。それと、やっぱり90年代のバブル直後ってバス運転手はすごく少なかったんです。
それなのに、オリンピックもあった昭和37年~40年頃は、バブルの後でバスの利用客がかなり増えていた。だから「運転手いません」「バス走れません」っていうわけにはいかなかったんですね。だからもう採用しちゃえという感じだったんでしょう。」

都営バス初の女性バス運転手が誕生!

新宿路線で当時のラッピングバスに乗る伊東浩子さん

新宿路線で当時のラッピングバスに乗る伊東浩子さん


それでは、実際に働き始めてからのことをお伺いします。「変則勤務」とありましたが大変ではなかったですか?

「当時、私の時は4週6休だったんですが、それを乗務員同士でローテーションしていました。むしろ運行ダイヤを崩さなければ基本的に自由なので私には合っていましたね! 路線バスには中休みがありまして、それが4時間位あるんです。大体みんなは寝るかして休んでいましたけど、私はこの4時間でいったん自宅に帰って家事をして戻ってくる、ということをしていました。」


すごいパワフルですね。つらいと感じたり、いつまで続くんだろうとか不安というか、しんどいというか、そういう風に感じたことはありませんか?

「しんどいのは当たり前だと思っていました。だから具合悪くても休んだことがないんです。仕事に穴開けることが一番嫌だったので熱があっても休まなかったですね。というより熱があると思いたくなかったので測らなかったです(笑)。他にもお弁当だって作っていましたよ。」

ご持参のアルバムを拝見

ご持参のアルバムを拝見


仕事だけでなく家庭にも手を抜かない。まさにプロの流儀、さすがです。では、バス運転手として残っている思い出はありますか?

「私が新宿の路線バスを運転していた時に、乗車した小学生だったお子さんが大きくなって声をかけてきてくれたことですね。
その時は渋谷の路線に移動していたのですが「以前、新宿で運転していましたよね?」って声をかけられたんです。
後からお手紙をもらって知ったのですが、新宿路線で私を見かけなくなってどうしたのかなって子供心に思っていたそうです。
その後でまた「実は僕もバスの運転手になりたいと思っています。」って言われたのがすごくうれしかったですね。「頑張ってね!」って声をかけて応援していたのですが、風の便りに、運転手になったと聞きました。

他にもたくさんありますが、当時、女性バス運転手ってバス運転手3千人の中でひとりだけだったんです。だからとてもたくさんの人の印象に残して頂くことができたのだと思います。」


いいお話ですね!逆に困ったことや面白かったことはありますか?

「それも山ほどあります(笑)。今はICカードのチャージ不足ですね。とても便利ですが、それが困る時もあります。良くあるのがチャージ不足に気づいてから財布を探すので焦ってなかなかお財布が見つからない。そしてようやく出た財布の中には1万円札(笑)。

これが昔は、両替忘れやうっかり手持ちがない場合「次にご利用頂いた時にお支払いただければ結構ですよ」と声をかけることもありました。基本的には顔が分かる“常連さんに”ですが、大きな声では言えません(笑)。

結局、こうした少しのトラブルで運行時間が乱れてしまうので、バス運転手にはそれが一番困ることでしたね。 特に今はバス停の掲示板で運行状況がわかるところが増えたので、待っている人に「ごめんなさい」って思っていました。
他にも運転手ならではの悩みもありましたが、良い人生勉強だったと思っています。

ただ、バス運転手の原点というのは「お客様を目的地に安全にお送りすることが第一の使命」なので、運転手としてはそれで良かったんです。今はダメですけどね(笑)。


「バス運転手の使命」何かぐっと来るものを感じますね。では、女性運転手として困ったことはありましたか?

「あります、あります(笑)。声をかけられたりちょっかい出したりしてくる人もいました。「愛してるよ」っていう人も。私、若かったから(笑)。

ただ、手紙なんかもしょっちゅうありましたけど、その手紙の多くは感謝の手紙でしたね。
「あなたのバスに乗るの楽しみにしているんです」というのが圧倒的に多かったです。
そういった手紙は今も大切に残してあります。とてもうれしかったですね。」

都営バス初の女性バス運転手として女性の活躍を取り上げている当時の雑誌

都営バス初の女性バス運転手として女性の活躍を取り上げている当時の雑誌


では最後に、これから運転手を目指す人、バスに興味がある人、ちょっとわからないけど・・・という人に伊東さんから少し背中押してくれるようなアドバイスをいただけますか?

「はい。私はやっぱりバス業界はまだまだ誤解も大きいと思うんですよね。私自身は定年まで絶対続けられる仕事ですよー!って大きな声で言いたい!特に女性の方に!! だって私の頃から子供の保護者会や授業参観も休んだことないんですよ。周りからも「仕事しているの?」ってよく言われるくらい。今はもっと女性が働きやすい環境になっていますよ。

路線バスもそうですが、基本的にバス運転手は一国一城の主です。一度バスに乗車したら後は自分で何とかする。だから社内での人間関係も気にしないし不必要に仲良しをつくる必要もない。それが私にとっては気楽でした。
もちろん人それぞれなので感じ方や仕事の進め方は違うとは思いますけどね。
ただ、どんな仕事でも人間関係って悩むでしょ。だから262の法則を覚えておくといいと思うんです。

2割の人は確実に味方と敵。で、残りの6割はどうするかなーと、味方?敵?のどっちかになる人。
だから悪口を言われようとなんと言われようと、必ず2割の人は味方なのだって思うと随分救われた気になりますよ。バス運転手の場合はこうした人間関係に悩むことも少ないので、ぜひみなさんにバス運転手になるという選択を前向きに考えてくれたらなって思います!」


私たちもまだまだバス業界についてたくさんの方々に知っていただく必要があるという事を再認識いたしました。伊東さん、ありがとうございました!

当時の事を取り上げた雑誌や新聞などの数々

当時の事を取り上げた雑誌や新聞などの数々

バスを降りて今、女性バス運転手だった見知・経験を次の世代へ

現在の伊東さんはバス運転手だった頃の経験を活かし、学校行事を通じて子どもたちに接客のイロハを教えられています。コミュニティスクールといい、学校運営協議会による地域と学校と一体になって子どもたちを育てる活動です。

そうした活動を通じて、運転手時代を振り返るとずいぶん時代が変わったと思われるそうです。

伊東さんは言います。
「私は都営バスの運転手としてずっと仕事してきましたが、私自身、長男の嫁で専業主婦でした。両親、姑、小姑、大姑。みんないたという環境で過ごしてきました。そんな私にもできたのですからあなたにもできます!」

バス運転手の仕事に対するイメージを払拭する意味でも子供たちに向けたメッセージを送る伊東さん。具体的にはどのようなメッセージなのでしょうか。

「基本的にはやっぱり、バスの仕事についてですね。サービス業とは、バス運転手とは、という事や裏話的なこともお話します(笑)。
主婦で子育てをしながらこの仕事を続けられた、それは女性にとって心強いことだと思うんです。世の中、9時-5時って良くいうでしょ?でも、将来、職業を選んでいくうえでは、選択肢はそれだけではないのよ、ということを伝えたいのです。」

バス業界も大きく変わってきている今だからこそ、女性進出の拡大にますます期待がかかる。バス運転手であり、女性であり母である伊東さんが照らし走り続けて来た道は、女性だけでなく全ての人に「バス運転手」という職業選択の明るい未来へ続いて行くことを願いたい。




編集部からのお知らせ!

都営バス初の女性バス運転手 伊東浩子さんがバスギアのスペシャルアドバイザーとしてバスギアサービスを応援していただけることに決定!さらにバスギアターミナルでしか読めないオリジナルコラムをお届けします!女性だけでなく全ての人に「バス運転手」の魅力をお伝えして行きます!!

【取材協力】
元都営バス女性運転手 伊東 浩子さん

いとう ひろこ ― 神奈川県川崎市に生まれ、横浜にて育つ。結婚を機に現在の東京都杉並区に移り住む。1992年7月、都交通局に入局。当時35歳で専業主婦から東京都交通局女性乗務員第一号となる。持ち前の元気と負けず嫌いな性格で、主婦業にもいっさい手を抜かず25年に渡って勤務後、2017年に定年を迎え退職。その後は、バス運転手の経験を活かし、講師として地域・社会に貢献。現在も学校運営協議会などを通じて地域の子供達に人との接し方を教えるなどの教育に携わる傍ら、当サイト『バスギアスペシャルアドバイザー』としてまた『特集記事のご執筆』をいただくなど活躍の幅を広げている。

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