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奇跡の復活! 60年前の「ラッシュバス」がよみがえったワケは?[前編]

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旭川電気軌道は北海道旭川市に本社を置き、同市を中心に路線バス網を展開しているほか、貸切バスも運行しています。
同社では2022年10月、約40年前まで活躍していた大型路線バスの三菱ふそうMR430をレストア(大規模な修繕・復元作業)によって復活させ、大きな話題となりました。
三菱ふそうMR430は3軸の大型路線バスですが、大型タンクローリーのように前輪が2軸となっている非常に珍しい車両です。
廃車となってから40年以上、野ざらしに近い状態で、特に他に同型の保存車などはなかったことから、まさに奇跡の復活劇とも言えるでしょう。
今回は旭川電気軌道のレトロバス三菱ふそうMR430レストアについて、舞台裏をふくめて前・後編に分けて紹介します。

三菱ふそうMR430はどのようなバスか?

三菱ふそうMR430は1963年頃から67年頃まで製造・販売していた、前輪2軸・後輪1軸の3軸大型路線バス専用型式です。
戦後、日本の路線バスは大型化が進みますが、高度経済成長期の1960年代入ると朝夕の通勤時間帯には爆発的なラッシュが恒常化するようになったため、それに対応できる全長12m級の長尺車体を持つラッシュバスが各自動車メーカーで製造・販売されるようになりました。
その切り札として登場したのが、当時の三菱日本重工業(現・三菱ふそうトラック・バス)が製造・販売する、ふそうMR430だったのです。

三菱ふそうMR430の諸元

三菱ふそうMR430のカタログ上の諸元は、全長11.985m、全幅2.495m、全高3.09mです。
一般的な2軸の大型路線バスの長尺車とほぼ同じ大きさですが、前輪が2軸であることが特筆すべき点です。ホイールベース(前後の軸距)は、1軸目の前前輪と2軸目の前後輪の間で1.6m、2軸目の前後輪と3軸目の後輪の間で5.06mとなります。
乗車定員は110人です。

エンジンは最高出力220馬力、総排気量8,550ccのターボ付き直列6気筒ディーゼルエンジンDB34型を搭載しています。
この車種最大の特徴である前輪が2軸ある理由は、重量配分の安定化と機動性の向上のためと言われており、前輪は2軸とも操舵(そうだ)できます。

三菱ふそうMR430導入と活躍の歴史

当時としても特異であった前輪2軸、後輪1軸の大型路線バスの三菱ふそうMR430は、ラッシュ輸送対策として、国鉄バス(日本国有鉄道自動車局)、名鉄バス(名古屋鉄道)、そして旭川電気軌道に吸収合併される前の旭川バスの3事業者に導入されました。
国鉄バスと名鉄バスはそれぞれ5台前後が導入されましたが、いずれもボディは富士重工業製で、フロントウィンドウが傾斜している前面デザインが特徴です。
側窓も当時の路線バスでは標準的な通称「バス窓」を採用していました。
「バス窓」とは、四隅に丸みがついた小さな横長の固定窓と窓ガラスを持ち上げて開ける四角い窓を組み合わせた構造の側窓で、1950~70年代の日本の路線バスでは大多数を占めていました。

写真は1977年6月に撮影された名鉄バス導入の三菱ふそうMR430の廃車体で、富士重工業製ボディの傾斜した前面デザインがよく分かります。
側面には「バス窓」がズラリと並び、中扉が4枚折戸であることも確認できますが、名鉄バス導入車の中には後年中扉を4枚折戸から引戸に改造されたとの記載がある文献もあります。

こちらは左ナナメ後ろから見た廃車体の様子。
リアウィンドウが3分割ガラスであることも分かります。
名鉄バスの三菱ふそうMR430は1963年に5台が導入されましたが、1973年に全車廃車となっています。
(2017年5月6日刊行 『昭和50年代 全国バス紀行』掲載)

旭川バスに導入された三菱ふそうMR430

一方、旭川バスに導入された車両のボディは呉羽自動車工業製で、前面・後面ともに富士重工業製とは異なるデザインとなっており、側窓も平行四辺形状のスピード感あるデザインの引き違い窓を採用していたことが大きな違いです。
旭川バスでは、銀色のボディにピンク色で矢のようなデザインに塗り分けたアローマークが、従来の一般的なカラーリングデザインだったそうですが、三菱ふそうMR430はアローマークのデザインはそのままに、ピンク色を紺色として特別感を醸(かも)し出していたという、バス愛好家団体の会誌での記録もあり、当時からスペシャル感満載の車両であったことがうかがい知れます。

旭川電気軌道での活躍

三菱ふそうMR430が導入された旭川バスは、1968年に旭川電気軌道に吸収合併され、MR430は同社の所属となりました。
旭川市は道幅が広いため、前輪2軸で最小回転半径11.8mのMR430でも取り回しが利くことから、朝夕の通学ラッシュ輸送に重宝したとのことです。
現在の大型ノンステップ路線バス三菱ふそうエアロスターのロングボディ車、2PG-MP38FMは全長11.26mで最小回転半径が9.2mであるので、一概に比較はできないものの、MR430の巨体は幹線道路から外れた運行にはあまり向かなかったことが想像できます。
そのようなことから、MR430は3台のみの導入にとどまり、おもに朝夕のラッシュ時のみの運行であったためにあまり走行距離が延びず、登場から15年近くもの間運行されました。

引退、そして約40年間廃車体に…

導入から約15年近く走り続けた旭川電気軌道の三菱ふそうMR430ですが、老朽化と部品調達の関係から1977年に登録ナンバー「旭2い・126」「旭2い・127」の2台が引退。
残る「旭2い・128」1台に対しての部品取りとなったものの、「旭2い・128」も翌1978年に引退しました。
そしてこれが日本で最後まで活躍したMR430となりました。
写真は1977年に引退した「旭2い・126」の晩年の姿です。
(2019年9月4日刊行 『昭和思い出バス点描』掲載)

引退後、廃車体が旭川市の近隣の鷹栖町(たかすちょう)の農場経営者の元に引き取られましたが、その後2007年にバス愛好家が購入。
さらに2011年に別のバス愛好家が購入し、同様に近隣の東川町(ひがしかわちょう)の整備工場の敷地内で保管されていました。
廃車後から約40年の間に所有者が転々としましたが、旭川電気軌道のバス路線から見える場所に置いてあったことから、同社のほとんどの乗務員がその存在を知っていたと思われます。
ただ、約40年間、手入れもされず半ば野ざらしのような状態にありました。そのようなMR430が奇跡とも言えるような復活をどう遂げたのかは、後編で紹介することにしましょう。

※協力 : 旭川電気軌道株式会社
※写真(特記以外) : 伊藤岳志
※ 文 : バスグラフィック編集部(宇佐美健太郎)
※参考文献 季刊『バス』No.1 1977 AUTUMUN 日本バス研究会首都圏サークル

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