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100周年を迎えた都営バス[前編]

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東京都交通局が運行する「都営バス」は、区部中心部から下町地域にかけてのほか、江戸川区や多摩地域の一部で運行しています。
東京、銀座、新宿、渋谷、池袋、上野、品川、六本木など都心の主要エリアを含む広範囲をきめ細やかに網羅しており、まさに「都民の足」とも言える存在です。
そんな都営バスが2024年1月18日に、運行開始から100周年を迎えました。
それを記念し、1月20日に東京タワー南側駐車場の屋外特設会場にて「都営バス100周年記念イベント」を開催しました。
今回は前編記事にてイベントの様子、後編記事にてイベントで初めてお披露目(ひろめ)されたスペシャルな車両を紹介し、都営バス100周年の概要をお伝えします。

運行開始のキッカケは関東大震災

都営バスが運行を開始したのは今から100年前の1924(大正13)年1月18日。
実はその前年に大きな出来事がありました。
1923(大正12)年9月1日に相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される巨大地震が発生。
東京や神奈川をはじめとして関東地区で甚大(じんだい)な被害が発生したことから、「関東大震災」と呼ばれました。
関東大震災により、近代国家への道をひた走っていた日本の中枢(ちゅうすう)ともいうべき東京市も壊滅的な被害を受けました。
当時、「東京市民の足」は、東京都交通局の前身である東京市電気局が運行していた路面電車でしたが、震災によって軌道や電気設備、車両が大打撃を受け、運行できなくなってしまいました。
そこで、市民の足を確保する応急措置として白羽(しらは)の矢が立ったのが乗合自動車(バス)で、現在に至る都営バスの原点となったのです。

応急的な足から欠(か)くことのできない足へ

関東大震災後の応急的な市民の足だったバスは定着し、1943(昭和18)年の都制施行により東京市電気局から東京都交通局への改称を経たことで「都営バス」となり、敗戦後の復興と高度経済成長を支えてきました。
写真はちょうど高度経済成長期の1960年代後半に導入した車両で、富士重工業製ボディを架装した日野RB10です。
その後、モータリゼーションの進展により、路面電車のほとんどが廃止されると都営バスは欠くことのできない「都民の足」となり、空前の好景気の後の長引く経済不況、地下鉄の開業・延伸、バリアフリーや環境対応など、さまざまな経済・社会状況にその都度向き合いながら、今日まで走り続けています。

都営バス100周年をお祝いする

東京の街と人とともに歩んで100周年を迎えた都営バス。
そんな都営バスをお祝いするための「都営バス100周年記念イベント」が2024年1月20日、東京タワー南側駐車場の屋外特設会場にて盛大に催(もよお)されました。
都営バスとしても、感染症拡大による行動制限が緩和された後の久々の大イベントで、多くの来場者が見込まれることから、整理券配布による入場となりました。

イベントでは記念セレモニーやシークレットバスツアーの出発式、バス撮影会が行われたほか、都営バスマスコットキャラクター「みんくる」の限定ぬいぐるみ販売などの物販もあり、終始にぎわいました。

また、「都営バス100年のあゆみ」コーナーを設け、都市新バスのヘッドマークの展示やエポックメイキングなバスの紹介パネルの掲示を行ったり、交通局職員採用PRコーナーを設けて採用活動の促進を図ったりと、さまざまな出展が見られました。

なお、シークレットバスツアーについては、都営バスホームページによる事前応募制で、
180人の募集人数に対し、12,082人の応募があり、倍率約67倍のレアチケットになったとのことですが、幸運にも当選した180人は会場に用意された6台のバスに30人ずつが乗車し、それぞれ知らされていない目的地へと出発していきました。
シークレットバスツアーは6台全てが東京タワーを起点にして、皇居周辺を走行した後、それぞれの経由地を通り目的地へと向かう行程で、それぞれの最終目的地は葛西臨海公園(かさいりんかいこうえん)、渋谷駅、新宿駅、お茶の水、東京スカイツリー、豊洲(とよす)駅の6地点でした。

都知事もお祝いに…

イベント開始直後、小池百合子(こいけ・ゆりこ)東京都知事とコラムニストの泉 麻人(いずみ・あさと)氏を招いて記念セレモニーが行われました。
東京都交通局長の久我英男(くが・ひでお)氏も制服を着用して出席。

記念セレモニーで、小池都知事は冒頭で来場者へのあいさつと、元日に発生した令和6年能登(のと)半島地震の被災者へのおくやみとお見舞いの言葉を述べました。
そして、101年前の関東大震災で壊滅した東京市電の代替案として登場したのが都営バスであることを示したうえで、「そこから100年、皆さま方の足として愛され、そしてまた、便利にご活用いただいてきたということです」と感慨深げに述べました。
また、現在、都営バスは毎日約1,500台が運行し、約60万人の都民の足となっており、全車両がノンステップバスであること、水素をエネルギー源とする燃料電池バスも日本で最大の73台が運行していることにも触れ、「都営バスは人にも地球にも優しい乗り物だ」とも述べました。
最後に、「これまでの皆さま方への感謝も込めていろいろなイベントを展開してまいります。皆さんと一緒にこの100年の歴史と、そして将来への夢を乗せて、ともに走ってまいりましょう!」と呼びかけました。

泉氏は年に4回刊行している都営バスのフリーペーパー『乗り隊歩き隊』(のりたい・あるきたい)で、かれこれ20年ほど「乗りバスエッセイ」を寄稿しており、都営バスには都区内の路線はもちろんのこと、青梅地区の路線にもだいぶ乗っていると、都営バスと自(みずか)らのかかわりを紹介。
そして、話は都営バスの歴代カラーリングデザインの思い出にもおよび、100周年を祝うにふさわしいエピソードが会場を盛り上げていました。

100周年記念メッセージ特別表示の点灯式

記念セレモニーの最後には、会場に並べられた都営バス6台の前面行先表示器に、都営バス
100周年を記念したメッセージを表示させる「点灯式」を行いました。
前面行先表示器はLED(Light Emitting Diode:発光ダイオード)による電光式であるため、プログラムによって任意の文字などを表示できることを利用し、1台1台に違う文字を表示させて、6台分の表示でひと続きのメッセージとなるような工夫が凝(こ)らされました。

小池都知事がカウントダウンを行い、来場者も一緒に「……3・2・1」と号令をかけ、ついに「点灯!」。
「Since 1924」「ありがとう」「100周年」「これからも、」「この街のみなさまと」「祝 都営バス100周年」と6台各車の前面行先表示器が点灯し、100周年記念メッセージが特別表示されました。

なお、6台のうち1台の行先表示器はもともと白色LEDであったものの、イベントを機にフルカラーLEDに換装されており、都営バスのシンボルマークや「みんくる」などの表示もできるようになっていました。
点灯式の後、シークレットバスツアーの出発式を行い、ツアー参加者が乗車、そのまま会場を後にしました。
後編では、イベントで初めてお披露目された6台のスペシャルな車両を中心に、展示車両を紹介します。

※ 写真(特記以外): 伊藤岳志
※ 文 : バスグラフィック編集部(宇佐美健太郎)
※ 本記事内中に公開している写真は報道公開時間に撮影したものです。
※ 記事中の車両についてのお問い合わせなどを事業者など関係各所へ行わないようお願い申し上げます。

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